パラメーターは個

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■ 『村上龍、金融経済の専門家たちに聞く』【メール編:第307回目】
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====質問:村上龍=========================================

Q:546
 フリーターの増加、ニート(Not in Education, Employment, or Training )の増加、子どもの学力の低下などが指摘され、日本の若年層、子どもを巡る状況は希望に満ちたものとは言えないようです。本当のところ、昔(高度成長時)はどうだったのかという疑問もありますが、日本の若年層と子どもを巡る教育・雇用の現状と、将来的な経済への影響について、考えをお聞かせ下さい。
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JMMで掲載された全ての意見・回答は各氏個人の意見であり、各氏所属の団体・組織の意見・方針ではありません。
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 ■ 真壁昭夫  :エコノミスト
 わが国の教育や若年層の雇用環境については、最近、かなり悲観的な見方が多いように思います。実際の学力の低下や若年層の失業率を見ると、悲観的になるのも理解できるところです。しかし、学力や失業率という物差しだけで、これらの現象を一括りにすることは危険のような気がします。バブル崩壊やそれに続く経済低迷、さらには、潰れることはないと考えられていた大手金融機関の破綻などが短期間に発生し、社会環境が大きく変化している状況下、従来のメルクマールでは図れない要素があるかもしれません。
 最近、これらの現象について、私の頭の中にある重要なパラメーターは“個”です。
個人であり、個性などの“個”です。あるいは“自分”と言い換えてもよいかも知れません。今までの自分の経験を振り返ると、あまり“個”というコンセプトを意識していなかったように思います。たぶん、私ぐらいの年代の多くの人が、そうだったのではないでしょうか。それは、90年代後半まで、いい学校を卒業して、いい会社に入って、会社の中で他の人たちと仲良く過ごすことが、幸せになれるモデル=“幸福な人生モデル”として確立していたことと無関係ではないと考えます。
 バブルが崩壊して、人々が、資産価格は下落することもあるというリスクに気付き、大きな会社も経営に失敗すれば、破綻することも知りました。また、世界経済がグローバル化して企業間の競争が激しくなったこともあり、企業の業績が改善しても、従業員の給与は昔のように上がらなくなりました。企業が儲かったからと言って、給与を上げて資本分配率を下げてしまうと、株主の利益を阻害することが懸念されます。それによって、当該企業の株式が売り込まれる可能性があります。また、給与水準の上昇は収益圧迫要因になり、企業の競争力失墜の原因になります。これらの現象が顕在化することによって、わが国における、企業と従業員=個人の関係は、かなり変化していると思います。企業との関係が変化するのであれば、従業員一人一人は、会社のこと以前に、自分のことを考えることが必要になります。
 実際、学校で学生と接していると、学生の間でも、そうした変化を敏感に察知している人は多いように思います。その例として、最近、よく学生から、「自分で事業を起こしたい」という相談を何件か受けました。昔であれば、「どこの会社に就職するか」を相談されることはあっても、「どうしたら自分の会社を立ち上げられるか」を質問されることは殆ど無かったでしょう。自分で独立することを標榜した学生は、その資金を集めるためにフリーターになっているかもしれません。もちろん、それがすべてだというつもりはありませんが、そうした側面があることも確かです。
 独立を考えている学生にとって、学校の成績証明書は余り意味がありません。いくら学校でよい成績をとっても、就職するときほどの意味はないと思います。それよりも、アルバイトなどをして資金を集めたり、社会の仕組みを体験することの方が重要と考えることでしょう。それは、学力の低下という現象と捉えられるかもしれませんが、他の価値を手に入れたわけですから、大いに意味のあることと考えます。
 教育の現場に接点を持つと、こうした変化に、学校や社会の制度が追いついていないことを実感します。学校の授業で教えていることは、現在起きていることよりも、むしろ、過去に起きたことを理解する理屈や理論が多いと思います。それらの重要性が低いというつもりはありませんが、それと同時に、現在起きていることについて知りたいという学生の気持ちを強く感じます。これからに生きて行く学生にとって、今、どのようなことが起きているか、それは何故起きるのかの方が、有益な情報になるかもしれません。現在の仕組みでは、それに上手く対応できない面は多いと思います。
学生は、自分が欲するものを得られない学校に失望する可能性は低くはないでしょう。
 わが国の労働市場は、一部の例外があることは理解していますが、一般的に転職者にとっては厳しいという話をよく聞きます。大手企業の多くが、依然、終身雇用や年功序列の仕組みを引きずっているため、再就職の機会が限定されることもあるようです。また、年金制度なども企業単位になっていることが多く、転職するときに持っていく、いわゆるポータブルの制度が確立していないため、転職が不利になることもあるといわれています。
 現在は、戦後続いてきた考え方や制度が、現実に起きていることに対応ができないため、いろいろな部分にその弊害が出ている時期と考えます。その一部が、学力の低下や若年層の高い失業率になって現れていると考えます。社会の変化に早く追いつくように、仕組みや制度を迅速に変革することが重要だと思います。最も、それに多くの期待ができないので、“個”の自律がより重要になるのかもしれません。
                      信州大学大学院特任教授:真壁昭夫
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 ■ 山崎元  :経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員
 傾向として、若年層の平均的な学力が低下していることと、就業しない人の比率が高まっていることは事実と考えていいのだろうと思います。
 昨年OECDが41カ国の15歳を対象に実施した学力調査では、数学が6位、読解力が14位などと、2000年の第1回調査のそれぞれ1位、8位から大きく順位を落とし「世界のトップレベルではない」と印象づけられる結果になっています。また、最近発表された就職の内定率は、大卒が74.3%、高卒が67.7%と、最悪だった昨年を幾らか上回るものの、かなり悪い水準で推移しています。
 学力が下がり、若年時に就業しない、ということの個人としての帰結は、職業上の十分なトレーニングを少なくとも若い頃に受けない、従って、後年高いレベルの職業
上のスキルを持ちにくいということです。人間は簡単に生活場所を変えることが出来ないので、日本全体の集計数値として将来を想像すると、企業の生産性が落ち、経済全体としての成長に対してもマイナスの要因になります。
 上記は単なる予想であって、価値判断を含んだものではありませんが、ビジネスの場に於いては、自分だけでなく他人の生産性が自分の生産性にとっても大きな影響を及ぼすので、多くの人にとって、現在の状況は嬉しいことではないといえるでしょう。
 働く上でのスキルは職種によって差はあっても、その獲得と伸張にあっては、基本的に芸事やスポーツのスキルと似ています。基本的に若い頃の方が身に付きやすいので、若い頃にトレーニングを受けないということは、本人の生産性にとっても不都合ですし、企業や官庁など個人を使う組織の側から見ても、トレーニングの投資の効率がいい時期を逸することを意味します。
 ビジネスの世界でも、効率良くスキルを身につけた場合、だいたい30歳くらいがビジネスパーソンとしての能力のピークになることが多いように思いますし、もちろん早くレベルをアップすることが出来れば、本人にとっても、その人を使う組織にとっても得になります。また、人材が使われる側で高い商品価値を持つ年齢が35歳くらいまでだとすると、遅くとも20代の後半には自分の職業上のスキルをどのような職に対して蓄積するかが決まっていて、現にトレーニングを積んでいるのでないと率直に言って「後が大変」です。
 なお、良し悪しの判断は難しいと思いますが、ビジネス上のスキルに関しても、
「天才」といえるようなレベルの人材を育てるには、小中学生の頃から集中的なトレーニングを施すことが有効だろうと思うことが時々あります。
「教育」というサービスであり時間を含めてコストをかける側としては投資でもあるものについて考えると、大きな外部経済性を持っていることに気づきます。まず、教育は他人がそれを十分受けていることが、教育を受けた別の人にとっても快適であるという外部経済効果を持っています。加えて、ビジネスの場にあっては、他人が教育を受けていることが、自分の生産性をも向上させる効果があります。また、集団で勉強をしたり、競争をしたりすることによって、投資としての教育の効果が大幅に促進される収穫逓増的な側面も見落とすことが出来ません。
 ここで、他人が教育を受けていることのメリットに対して誰が費用負担をするのか、また集団で教育を受け競争する状況のメリットに対して、どの程度の費用負担をすればいいのか、ということの決定はなかなか難しい問題です。標準的には「市場の失敗」に陥りやすい問題といってよいでしょう。
 そう考えると、一納税者の立場としては、国に対して、出来るだけ高度な教育を、本人の能力に応じて、出来るだけ早い段階で受けることが出来るような、教育制度及び教育に対するコストの掛け方を期待したいと思います。
 現在、文部科学省は、いわゆる「ゆとり教育」の路線をなし崩し的に修正しつつあるように見えますが、これまでの「ゆとり教育」の効果と弊害さらにその責任について十分な総括が必要でしょう。ビジネスの世界の常識を当てはめて考えると、文部科学省の幹部(少なくとも課長以上)を総入れ替えするくらいの処置が必要です。
 尚、先ほど「人間は簡単に生活場所を変えることが出来ない」とは申し上げましたが、現在のコミュニケーション技術の発達を考えると、日本に居ながらも外国の高度な教育を受けることが物理的には相当程度可能でしょうし、教育の成果を仕事に生かすことも可能になっていると思えます。また、そうした教育のビジネス化も内外の主体によって行われる可能性があります。もちろん、より良い教育環境を求めて外国に移住することもできるわけですが、そうしなくとも、個人の意思によって教育の選択肢が拡がることを期待したいと思います。
              経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員:山崎元
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 ■ 三ツ谷誠  :三菱証券 IRコンサルティング室長
「永遠に子供で許される世界 - ネバーランド – の誕生」
 高齢化社会がどのようなものか、という問い掛けと今回の設問には密接な関係があると思います。
 昔、筒井康隆がその才能を存分に発揮していた頃、当時中学生だった我々は角川文庫を競って買い漁り、彼の世界に浸りきったものですが、その頃の彼の短編に、50代の編集者が「プレイボーイ」のような或いは「平凡パンチ」のようなテイストの雑誌を編集し修羅場に巻き込まれるという話があったと記憶しています。
 扇情的なヌードが巻頭を飾る老人向け男性週刊誌という設定は、当時中学生だった私には、単純に「最高だね、それは」という(そんなのありえないだろう、と笑うための)設定だったのですが、いま廻りを眺めれば30代、40代の独身者が溢れかえった「この現実」からは、その設定は<笑い>のための設定ではなく、リアルそのもの、となったと考えられるでしょう。
 また、筒井の凄みは、その時点、70年代において高齢化社会が、巷間考えられる「老人が多くなる社会」ではなく、「若者が多くなる社会」であると喝破していた点だと思います。
 堺屋太一をはじめ、多くの評論家が言うように、いまの40歳は、戦後まもなくの40歳とは成熟度において懸隔の差があり、8掛け(堺屋太一はもっと複雑な式を提示していたと思いますが)の32歳程度の成熟なのだと考えることが可能でしょう。
 しかし、それは結局、人口構成上求められる「成熟」の度合いが社会の高齢化に伴って上昇したという話で、そのこと自体が悪いことでも良いことでもないのだと思います。TU-KA の広告でダウンタウンの松本が写った日本の人口動態を実際の人間で示した秀逸な広告がありましたが、例えば同じことを戦後まもない時分に行えば、40歳は社会を背負う層として逃げることのできない「壮年層」として示されたのではないでしょうか。
 パラサイトシングルの問題も、結局は親が親でありつづけながら年齢を重ね、子供たちが委譲されるべき権力を親の世代から奪えないままに中途半端な子供でありつづける中で、顕現化した問題と考えることも可能でしょう。団塊の世代のリタイアが目前に迫る中で、結局は親たちから権力を奪取しえず、子供大人で老齢に達する最初の世代となった彼らがそれに続く世代に対して背負うべきものは実はとても重いのではないかと思います。
「豊かさ」が確立し、その「豊かさ」を築き上げられた「システム」が再生産させていく世界が生まれれば、実は人間は強い意志を持って自分自身を取り巻く「厳しい自然」に対峙し、その世界を生き抜く「大人」にならなくても、ずっとずっと幼稚な子供のままで、問題なく生きて老人となり死んでいくことが可能なのかも知れません。
或いはその幼稚な子供という言葉を「動物」と置き換えてもいいのかも知れません。
 すると教育というものもまた、自身を取り巻く自然を全体像の中で考え、自覚的に、自律的に世界を再構成して主体的に生きていく「人間」の教育が必要なのではなく、確立されたシステムの中で、或る機構・或るパートを専門性を持って担い、他の場面では常に他者やとりわけ「親的なもの」に価値判断も嗜好も付き従うことで生きていく「動物」のための教育こそが必要だと考えることも可能でしょう。
「親的なもの」として君臨するシステムが「豊かさ」を実現し、その豊かさの中で、大人ではない未成熟な子供たちが養われている世界、システムの中で動物たちが群生する世界としてこの世界を捉えてみても面白い気がします。
 また、そのような世界の中で生きていく目的を喪失し、家族だけが生の拠り所となった核家族たちが、いつまでたっても家族ごっこをやめない、つまり親はペットとしての子供を飼い、子供は親の庇護の温もりに午睡のようにまどろむ、そんな状態が、パラサイトシングルでありニートであり成熟しない永遠の子供たちを生み出している背景にあると思います。
 しかし、いくら現在の40歳は昔の32歳のような存在なのだ、と社会的に言ってみても、生物学的にはあくまで40歳は40歳なのであり、例えばミツク・ジャガーが永遠の不良青年をステージで演じてみても、声の張りも身体の動きも、その全てが青年のものではないという意味で、この世界は生物としての限界に呪われてあるのであり、実際には40歳は40歳としての大人の機能を果たす社会の方が、経済的な生産性の高い社会であることは、当然の話だと思います。
 そのような永続性を持つ社会を国家単位で護っていこうとする場合、やはりそこでは若い移民の受け入れの話が必須なのではないでしょうか。勿論、国家を離れた議論であれば「永遠の子供たち」の社会となった先進各国を、真に若い他の世界の労働力が支えている構図が浮かび上がる訳ですが。という意味ではマイケル・ジャクソンというのは80年代後半以降の世界を象徴するスターだったのだと思います。
                三菱証券 IRコンサルティング室長:三ツ谷誠
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 ■ 菊地正俊  :メリルリンチ日本証券 ストラテジスト
 まず出生率の低下や人口減少の問題が挙げられます。団塊世代は1947 -49年生まれの3年間合計で700万人もいますが、今年の新成人は150人、2004年生まれの赤ちゃんは110万人と人口高齢化と人口減少の時代が間近に迫っていることを示しました。これらは将来、増え続ける高齢者を勤労世代、特に減少する若年層で、背負っていかなければならないことを意味しますので(即ち、増税の可能性)、若年層が日本経済と自分の将来に不安を抱くのも致し方ない面があります。小泉政権は消費税引き上げ問題を封印したまま、年金や財政改革の将来像を明確に示すことができていません。
 昨年12月の失業率は全体で4.5%でしたが、18 -24歳の失業率は10%前後です。教育・資格や働く意欲がないため、働かない若者も少なくありませんが、企業の採用意欲が弱かった影響もありました。しかし、企業業績の回復に加えて、団塊世代の退職が間近に迫ってきたことから、企業の採用意欲は回復傾向にあります。新規求人数は90年のバブル期に迫る勢いです。パートのみならず、正社員の採用意欲も強まっています。今後働く意欲があるのに、仕事を見つけることができなかった若者が定職に就く機会が増えると期待されます。
 山田昌弘東京学芸大学教授は『パラサイト社会のゆくえ』で、パラサイトシングルの不良債権化問題を指摘しました。パラサイトしていた宿主の親が退職・高齢化することによって、親に依存するどころか、親の面倒をみる必要が出て、経済的困難に陥るとの見方でした。同教授は『希望格差社会』では、日本でも勝ち組と負け組の格差が拡大し、将来に希望が持てる人と将来に絶望する人が分裂する姿を描きました。実際に所得格差を示すジニ係数は2002年に0.38と15年前より0.05ポイント上昇しました。
 昔から子供は親の背中を見て育つといわれてきましたが、子供にかけられる教育費の格差が拡大しています。過去数年に行われてきた所得税最高税率、相続税、贈与税の引き下げなども経済格差に寄与しました。経済の高度化、グローバル化、サービス化の進展は経済格差を固定化しやすい面があります。小泉首相をはじめ自民党の多くの議員はニ世議員ですし、民主党の岡田代表はイオン・グループの創始者出身です。
将来に希望がもてない人が増えることは、犯罪や自殺の増加などにつながりますので、望ましいことではありません。奨学金制度の充実や社会全体の啓蒙活動などを通じて、機会の平等を増やす必要があるでしょう。
 2004年の小学生1年生の男の子がなりたい職業の1位はスポーツ選手だった一方、親が子供に期待する職業の1位は公務員でした。公務員がベストの職業かどうかは疑問が呈されますが、一流のプロ・スポーツ選手になれたらベストの結果でしょう。
最近では世界的に活躍し、企業の経常利益に匹敵するような高給を獲得する日本人のスポーツ選手が出てきました。子供達がそうした選手の活躍を見て、自分も世界に羽ばけるスポーツ選手になりたいという夢をもって努力することは望ましいことです。ただ、問題はなれる確率が低いことです。
 最近は創業した企業を株式公開するなどして成功する若い経営者が出てきました。ライブドアの堀江社長などは芸能人ばりにテレビに出るようになりました。小学生が起業家になりたいと答えることはないでしょうが、多くの高校生や大学生が起業家を目指す時代になれば、日本経済は明るさを増すでしょう。
               メリルリンチ日本証券 ストラテジスト:菊地正俊
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『パラサイト社会のゆくえ』山田昌弘/ちくま新書

『希望格差社会 「負け組」の絶望感が日本社会を引き裂く』山田昌弘/筑摩書房

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 ■ 北野一  :三菱証券 エクィティリサーチ部チーフストラテジスト
 私は、「若年層と子供を巡る教育・雇用の現状」に必ずしも詳しくはありません。
従って、その「将来的な経済への影響」についても、よくわかりません。ところで、将来ではなく、現在の経済に対する、過去の「若年層と子供を巡る教育・雇用」の影響というのは、どの程度あったのでしょうか。例えば、過去20年間に日本経済が経験したバブルの生成と崩壊に対して、過去の「若年層と子供を巡る教育・雇用」が、やはり悪影響を及ぼしていたのでしょうか。
 愚問だと思いながら、私は同僚に次のような質問をしました。「いわゆる『マネー敗戦』の責任をいずれかの『世代』に問うなら、1990年代の20歳代、30歳代、・・・70歳代、どの世代だと思う?」と。彼らは、口を揃えて、「それなら60歳代だろう」と答えました。年功序列の日本の場合、重要な政治判断や経営判断を委ねられているリーダーはもっぱら60歳代です。「マネー敗戦」の原因がリーダー達の判断ミスにあるとするなら、A級戦犯は60歳代だろうということになるわけです。
 では、この1990年代に60歳代であった方々は、若い頃にどのような教育を受けてこられたのでしょうか? 1990年に60歳だとすると、1930年(昭和5年)生まれということになります。ここで、彼らが受けてきた教育、当時の政治・経済・社会状況を簡単に振り返ってみましょう。
 まず、彼らが小学校に上がる頃、1936年に2・26事件があり、翌1937年に日中戦争が始まります。5年生になった1941年には日米戦争もはじまり、この年、小学校は「国民学校」に改称されました。国民学校では、宮城遥拝や軍事教練が日課になりました。戦況が悪化した1943年には、文部省が学童疎開を促進します。
そして1945年、15歳の夏に敗戦を迎えます。授業が再開されたのは9月頃。空襲で校舎を焼かれたので、残った校舎を午前と午後に分けて使う二部授業も多かったといいます。
 彼らが大学に進学するころに、教育改革が行われ、1949年に新制大学が発足します。もっとも、当時の大学進学率は10%程度であり、大多数の1930年世代は大学には無縁でした。因みに、1950年に金閣寺に放火したのは21歳の僧でした。
1952年に対日講和条約が発効、日本が独立を回復とともに、大学を卒業する年齢を迎えました。彼らの青春時代は、今のイラクのような感じだったのでしょうか。
 戦争に負けた直後ですから、雇用も厳しい状況でした。超緊縮ドッジ予算のもと、吉田内閣が、1949年に「行政機構刷新および行政整理方針」を決定します。地方も含め、30万人弱の公務員がクビを切られ、民間部門でも約45万人の人員整理が行われました。1950年代の失業率は、2%台前半でした。ただ、就業者数の産業別構成割合をみると、当時は、農業等の第一次産業が50%近くを占めておりましたので、今の感覚で失業率を見ることは出来ないでしょう。
 その後の高度成長は、こうした第一次産業から第二次・第三次産業へという劇的な職業構造の転換を背景にしたものですが、この構造変化に連動して中等・高等教育も急拡大してきました。少し話がずれますが、1947年に六三制が導入され、義務教育終了年限が15歳まで上昇したことから、製造業への就業が容易になったという面もあります。戦前は、尋常小学校の卒業者が、工業労働者最低年齢法に抵触したため、学校卒業後、しばらくフリーター(農業手伝い等)を余儀なくされたようです。
 高度成長においては、中等・高等教育の拡充が重要な役割を果たしたと思われますが、その前に、教育が終わっていた1930年世代はいったいどうなったのでしょうか? 「敗戦」というショックのなか、経済的に貧しく、思想的にも混乱し、満足な教育を受けることなく、世に出た1930年世代は、「マネー敗戦」を受け、やはり経済的に苦しく、価値観の混乱に見舞われている現在の若年層を彷彿とさせるものがあります。
 むろん、「本当の敗戦」と「マネー敗戦」では次元が違いますから、1930年世代は現在の若年層以上の貧しい教育を受けていたのでしょう。では、こうした教育の混乱は、その後の日本経済にどのような影響を与えたのでしょうか? 15歳の夏に「一億総ざんげ」という理不尽を押し付けられた彼らだからこそ、50年後に「犯意なき過ち」と開き直ったのでしょうか。
 それならそれで話としては面白いのですが、そんな因果関係はないだろうと思います。実際、私の不勉強のせいかもしれませんが、1930年世代の受けた教育と、その後の経済の関係について調べた研究もないように思います。おそらくは、1930年世代が被ったレベルの教育の荒廃でも、その後の経済への影響を、はっきりと特定できないからではないでしょうか。
 このように、もし、「本当の敗戦」時における1930年世代の教育の、その後の経済への影響でさえ明らかではないなら、「マネー敗戦」後の教育の将来への影響は、なんとも言い難いように思います。
         三菱証券 エクィティリサーチ部チーフストラテジスト:北野一
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 ■ 津田栄  :経済評論家
 最近のニュースを見ると、日本の若年層、子どもをめぐる教育・雇用の状況は、深刻に見えます。確かに、若年層の完全失業率は、04年11月で全体の4.4%(季節調整前)に対して、15 -24歳で8.2%、25 -34歳で5.1%と高く、全体を引き上げているともいえます。また、今年の大学や高校の卒業予定者の就職内定率は、前年よりも上昇したものの7割前後しかなく、逆に働きたくても働けないものが3割前後いることになります。
 その働く意思のある彼らは、フリーターとしてアルバイトやパートで働くしかありません。そして、今15 -34歳の若年では5人に1人がフリーターであり、最近その若年層のフリーターが増加して一説では220万人(全体では450万人)前後に達しているといわれています。また、働くことも学ぶことも放棄し、無職でいる若年層のニートは50万人前後もいて、合計すると270万人にもなります。
 こうした若年層の雇用の状況は、多くの若者が会社という束縛を嫌い、自由を求めて自らフリーターを選択したためではなく、バブル崩壊以降長引く景気低迷とデフレ、経済のグローバル化により企業が競争力維持・収益力向上のために正社員の採用を控え、アルバイト・パートなど非正規社員を増やしてコストの安い労働力を求めた結果であるといえます。それは、企業がこれまで正社員に給与などを通じて利益分配して所得移転を行ってきた構造を改め、正社員の抑制・アルバイトやパートの増加を通じて従業員への所得移転を抑え、利益を企業内部に留保する構造に転換した結果ともいえます。
 この状況は、景気回復などで若干改善が見られても、大きな流れとしては変わらず、むしろフリーターやニートは増え続けると見られています。ただ、今後雇用環境における変化も予想されています。ここ数年、「団塊の世代」が60歳定年で大量に退職するといわれます。その結果、企業にとって、過剰雇用が解消されるばかりか、雇用不足さえ引き起こしかねず、企業は、雇用コストの大幅な低下から、数十万人の新規雇用に踏み切るのではと見られています。その意味で、一方的な悪い予想が当てはまるとはいえないようです。ただ、その際の雇用が、正社員なのか、やはりアルバイトやパート、派遣社員でまかなうかは今のところ読めません。
 さて、若年層の雇用の現状、そして今後のフリーターやニートの増加は、将来の経済にさまざまな影響を与えます。まず、アルバイトやパートの仕事をする若年層の年間所得は、100万円前後といわれ、正社員の400万円弱に比べ約4倍の差(生涯賃金も約4倍の差)となっていますから、今でこそ親との同居で親の所得や貯蓄の支援を受けて生活できても、いずれ所得の低下は、消費に回すことを控えることになります。そのことが、国内経済の回復を鈍くさせ、またデフレ状況を長引かせる要因にもなります。
 一方、個人所得の減少により、国にとっても悪影響が出てきます。まず、個人所得税の減収につながります。同時に消費の減少は、将来引き上げられる可能性の高い消費税が期待したほどの増収にはならないと思われます。そして、正社員であれば払うべき社会保険料や雇用保険料が、国に入ってこないことになります。つまりフリーターの増加の結果、財政赤字が更に悪化する可能性があります。また、今でさえ苦しい地方の財政においても、住民税や消費税などの税収の伸び悩みから更に悪化し、三位一体改革で描いた地方の自立が困難になることも考えられます。
 また、もし今の若年層がフリーターとして長期にわたると、彼らは年金受給資格を得る歳になっても年金支給額として最低限の生活を送る資金しか手に入らないばかりか、フリーターでは今の掛け金が払えない未納者は年金受給資格すら得られないことが起こりえます。そのように、若年層でフリーターを続けていると、親の援助もなく年金も少ないなかで、昨年行われた年金改革による安心した年金生活という夢も根底から崩れる可能性があります。ましてや、ニートになると更に状況は悪いといえます。そして、そのことは、将来の経済を更に低迷させる要因になりえます。
 問題は企業による教育にもあると思います。フリーターやニートは一度なると、そこを脱して正社員として定職に就くのが難しく、また就いてもすぐに離職する者が多く、若年層のフリーターやニートという雇用状況が長期化しやすいといわれます。最近の統計では、フリーターやニートの高齢化が進み、景気回復や人手不足になっても、正社員への採用が困難になりつつあります。その原因には、正社員にとって必要な職業知識が、企業での教育が少ないため身についていないということもあるように思います。
 したがって、大きく回復しない就職率、高い離職率を考えると、フリーターやニートの新たな発生と増加を促進させると予想されます。さらに、これは、所得格差を生み、その拡大につながるとも予想されます。その結果、今でも増えている犯罪がさらに増え、社会不安を増幅させる要因にもなりえます。それは、将来の負担となって、経済に悪影響を与えます。また、所得格差の拡大は、その子どもたちの教育を受けるチャンスを奪い、フリーターやニートの再生産を生んで、さらなる所得格差の拡大と固定化を促し、社会・経済の下方スパイラルにつながる可能性があります。
 また、フリーターやニートの増加は、少子化を加速しかねないという、もっと深刻な問題をはらんでいます。少子化の要因として、結婚し、子どもを育てる貯金がないことが挙げられています。まず結婚するのに必要な貯金がないため結婚に踏み切れない若者が多いといわれます。また、結婚できても、子どもを一人育てようとすると、約2000万円掛かります。年間所得100万円前後のフリーターや無収入のニートでは、結婚も子育てもできる経済的余裕がないといえ、フリーターやニートの増加は少子化を促進させてしまう可能性があります。
 このことは、地方ではより深刻です。地方では、都市部との間の経済的格差に加え、都市部に比して経済が低迷しているため、地方の若年層は職が見つからないことで多くがフリーターやニートにならざるをえず、結婚も子育てもより困難になっていると聞きます。(また、地方の若年層が職を求めて地方を離れて都市部に移っていくとも聞きます。)そのことが、地方の少子化、高齢化、そして過疎化を進行させ、都市部との経済的格差をより拡大させていくことになります。
 ところで、もう一つの学力の低下の問題ですが、OECD調査でみると得点も順位も落ちて、水準的に低下しているといわれます。確かに将来この傾向が続くのであれば経済への問題は深刻になります。まず企業にとって将来生産性が伸びない恐れが出てきます。また、今官民競って強化しようとする特許などの知財が増えず、経済的に日本は国際的な競争力を失う可能性もあります。そのほか、技術やノウハウなどの伝承などにも支障を来たし、貿易立国と言う看板さえ失い、国全体が疲弊する恐れも出てきます。学力の低下は、長い目で見ると、こうしたリスクを抱えています。
 ただ、私が教育の現場を見たり経験したりする範囲では、子どもたちは、学びたいという意識を持っています。むしろ、その教育の環境が問題ではないかと感じています。今の文部科学省のように、子どもへの教育を管理面でしか考えないのであれば、子どもたちの学力の回復は期待できないかもしれません。先生たちも管理され、子どもたちを教える余裕を失いつつあるという問題も大きくなっています。そうした点を改善しなければ、学力の低下は簡単に修正が効きません。ただ今の段階では、まだ時間があり、修正が可能です。
 最後に、子どもの教育・雇用の現在の状況は、結局、私たちが招いた結果です。子どもたちが、学びたい、職に就きたいという夢を与えてこなかったことが大きいのではないでしょうか。特に、企業や役所がルールを守らない姿勢、政治・行政・経済におけるリーダーといわれる人たちが、問題を先送りし、さらに不祥事や事件を起こしながら罰せられず、また自分たちを律することもしない姿が目に付きます。今、もっとも必要なのは、努力した者が報われ、また失敗しても再挑戦が認められる社会を築き、そしてその社会で学びたい、職に就いて働きたいと思うような夢や期待を子どもに与える努力を私たちがすることではないでしょうか。
 また、今表面化している子どもの教育・雇用の問題は、財政問題、年金問題、少子化問題、経済格差の問題などと複雑に絡んでいます。つまり、それは、日本が抱える構造問題の一つであり、しかも独立した問題ではありません。したがって、これだけを切り離して問題解決しようとしてもどこかで他の問題と衝突し、破綻します。今必要なのは、日本の将来ヴィジョン、グランドデザインをもとに総合的全体的に構造問題を解決する根本的な改革ではないかと考えます。
                             経済評論家:津田栄
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 ■ 岡本慎一  :生命保険会社勤務
 フリーターの増大による日本経済への影響は大きく3つあると思います。第一に、生産性への影響が懸念されます。アルバイトは、正社員に比べて専門的な仕事や責任ある仕事を任せられることが少なく、働く時間も比較的短くなります。その結果、フリーター期間は、職業能力を高める機会が少なくなります。日本は企業内教育や長期雇用によって労働者の生産性を高めてきましたから、フリーターの増加によって、そうした日本的な生産性向上の仕組みが脅かされる可能性があると思います。
 第二に、一層の少子化を招く恐れがあります。フリーターは年収100万円未満の人が約半数を占めています。育児には教育費(幼稚園から大学まで)だけで標準的なケースで1000万円程度、多い場合は2000万円以上もかかるそうです。低年収のフリーターにとって、結婚して子供を育てることは経済的には大きな負担でしょう。
フリーターの増大は少子化や晩婚化を助長し、出生率を低下させる傾向を持つと思います。
 第三に、フリーターと正社員の間に大きな所得格差が生じ、社会的な不満や不安が高まる可能性があります。フリーターの年収を正社員と比べると、30歳代前半で約2/3、40歳台前半では約1/2に過ぎません。正社員は雇用期間が延びるにつれ賃金が上昇しますが、フリーターの年収は年齢とは無関係にほぼ一定にとどまるからです。
 フリーターは自分の意志でフリーターになることを選択したのだから、こうした所得格差は仕方がない、と考えることもできるかもしれません。しかし、フリーターの選択が本当に自由な意志に基づく選択といえるでしょうか。
 経済の長期停滞の結果、本来正社員で雇われるはずの若年者が、仕方なくアルバイトを選択しているケースも多いでしょう。また、家庭の事情から時間的制約の強い正社員を選択できないケースもあると思います。この様に、「たまたま」(『運』といってもいいかもしれません)フリーターとなったケースは多いのではないでしょうか。
 その一方で、フリーターの約7割の人が「正社員になりたい」と考え、過半のフリーターが「いざという時の保障がない」、「病気した時に収入がなくて困る」ということを不安に感じています(平成15年版「国民生活白書」内閣府)。こうした意識調査を基に考えると、フリーターと正社員の所得格差の拡大は、社会的に見過ごせない影響をもってくるのではないでしょうか。
                         生命保険会社勤務:岡本慎一
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