「ツナミの洗い流したもの」

JMM [Japan Mail Media]
「ツナミの洗い流したもの」
元旦の朝に放映されたNHKの仕事のために、短い間ですが暮れの日本に滞在していました。スマトラ沖地震とインド洋の大津波被害という事件が起きたのは、丁度その間のことでした。以来、私は怒りの感情からどうしても自由になれません。地震から津波来襲までの時間に「逃げることができたはずだ」「死ななくてもいい人々が大勢死んだ」という思いを一旦抱いてしまうと、どうしても憤怒の感情を抑えることができないのです。
「太平洋側には津波監視システムがあったが、インド洋側は未整備だった」という報道が一般的です。ですが、海に近いかあるいは海底が震源の地震の場合、津波の危険を考えるというのは当然のことのはずです。「監視システム」などと大げさなことを言う前に、単に「危ないよ」という一言が、電話やEメールが、国から国へ、海のこちら側からあちら側へと伝わらなかったのでしょうか。
ですが、被災地の人々を責めるのは酷です。私の怒りというのは、主としてアメリカと日本に対しての感情でした。まず、アメリカは世界中を対象として、宇宙から地上を監視する軍事衛星のシステムを持っています。建物の一つ一つから、人間の一人一人まで判別できるというのが売り物です。戦闘の細かな状況把握を宇宙から行って、地上の前線はそのデータを見ながら戦争をする、ファルージャの市街戦はそのようにして戦われたというのです。
そんな衛星からの監視システムが「海の異変」を察知できなかったというのは妙な話です。事実、プーケットに押し寄せる津波がまるで渦を巻いているような「衛星写真」も公開されているのですから、そのはるか前の段階、つまりスマトラ沖で海底での大陥没があり、大きな津波の波動が発生し始めた時点で、不気味な円を描いた波動が拡散してゆくイメージは宇宙から把握されていたはずです。
爆発の煙やミサイル格納庫のような「判別しにくい映像」の分析には熱心でも、海上に出現した明らかな巨大異変には気づかない、これで「監視」をしているというのですから、呆れた話です。それとも、例の「衛星イメージは軍事機密にして他の組織とは共有しない」という原則がここでも徹底されたのでしょうか。
そこには時間の感覚という問題もあります。例えば今問題になっているMD技術ですが、音速の何倍かで飛来するミサイルを空中で迎撃する、そのためには15分が勝負だ、というようなことが言われています。その15分の「戦い」のためには、膨大な予算と人材を投入する一方で、この津波というスピードは「せいぜいが音速の半分」で「数時間の余裕」のある「脅威」とはまともに戦えていないのです。それがアメリカの主導する「安全『保障』」の実態というわけです。
日本もそうです。地震国であり、海洋国家である日本、太古の昔から津波の被害を経験し続けている日本には、津波警報に関するノウハウが蓄積されています。微少な地震であっても「津波の心配」を臨時ニュースで確認する日本のノウハウがあれば、何万という人命が救えたのでは、そう思うと無念の思いにかられてしまうのです。
更に、そこには「命の値段」に対する不思議な感覚が見え隠れします。漠然と「外国人の生命より自国民の生命」を重視し、更に「天災の被害者より人災の被害者」の命に大きく反応する、そんな感覚がどこの国にもあるのでしょう。例えばアメリカや日本の場合は、今回の地震と津波は「遠く離れた国の惨事、しかも天災」ということになるわけで、テロや殺人に比べると、怒りのスピードが遅い、そんな心理になっているのかもしれません。
結果的に、災害の規模の割には、日本もアメリカも当初の反応は遅かったように思うのです。特に私の滞在していた間の日本の報道には違和感がありました。TVでは細切れの報道が多く、しかも無事に帰国した日本人観光客の感想などが主で、どこか間延びした印象がありました。とても10万単位の人命が失われた惨事の報道とは思えない内容だったのです。
私は、時にそのような日本の雰囲気に違和感を感じながらも、「中越地震の傷、度重なる台風、巻き込まれたイラクでのトラブル」などに苦しんだ日本には、天災や人災への「疲れ」があるのだろうと、怒りを抑えていたのが本当のところです。ただ、CNNの映像などで、プーケット島での行方不明者の安否確認ビラが貼り出されているのを見ると、どうしても頭に血が上ってしまうのでした。
人命の重さは無限大です。1人の生命を救うのに巨大な犠牲を払うこともあるのはそのためです。その一方で、1人の死よりは10人の死が重たい意味を持つということもあるでしょう。その数が、数百人となると、また重さは違ってきます。例えば911のテロ事件では、確かに3000人近い生命が失われました。その重さは数百人というのとは、また次元が違うのです。
ですが、今回は12万5千人です(12月31日現在)。これに加えて、無数の不明者があり、また感染症などの二次災害の危険に晒されている人を加えると、最終的な犠牲者数は見当もつきません。これは更に全く次元の違う話です。距離の遠さ、国や民族の違いを乗り越えて、本当に人類的規模での惨事と言わねばなりません。
そんな中、この30日にアメリカへ戻ってきたのですが、JFK空港に着いて駐車場から車を出して、地元CBSのAMラジオをつけた私は驚きました。トップニュースであることは勿論、30分のニュースの中で、「大津波」に関するニュースが3分の1を占めていたのです。
無事だった観光客の「体験談」や、数千人というアメリカ人の行方不明者の問題はそれほど大きく扱われていませんでした。まず、プーケットの地元の人による「津波の恐怖」に関するインタビューがあり、続いてインド、スリランカ出身者の多い、NYの隣町「ジャージー・シティ」の市長の話が続きました。
このフランク・ハーグという市長が訴えていたのは、ジャージー・シティとして「分裂を乗り越えて被災地への支援を行おう」ということです。この分裂というのには二重の意味があります。まず市政としては「共和党と民主党」の激しい抗争がありました。市長選でも、市議会選でもこのジャーシー・シティでは常に両党は激しい確執を演じてきました。今回の支援に当たっては、その確執はひとまず棚上げにしようというわけです。
もう一つの確執は、スリランカ社会における仏教徒とヒンドゥー教徒の争いです。長年の内戦という形で表面に表れた確執は、海を渡ってこのジャージー・シティの移民社会にも影を落としていたらしいのですが、そうした分裂も乗り越えようというのでした。
この30日の夕刻のニュースでは、ヒラリー・ロッダム・クリントン上院議員のスピーチも紹介されていました。「人類にとってたいへんな惨事です。アメリカとして可能な限りの支援をすべきだと思います。人道面もそうですが、安全保障の戦略上もこの地域に貢献することは重要だからです」というのが、ヒラリーのコメントの要旨でした。
これにさきがけてブッシュ大統領も演説を行っています。ブッシュ大統領はこの津波災害について「人類史上、最悪の惨事」という言い方をして、国を挙げての支援を行うことを表明しています。また、これと前後して「アメリカ、日本、オーストラリア、インド」の4カ国で、「災害支援コアリション」というのを作って行動することを表明、タイとの間にJoint Task Force 536 (JTF 536)を締結、直ちに作戦を発動しています。その姿勢を示すデモンストレーションとして、空母アブラハム・リンカーンを急遽インド洋に展開しています。
実際、アメリカの反応は私には予想外でした。CNNの行った簡易世論調査では、
「この津波災害が今年一番のニュースか?」という問いに82%(30日夜現在、約15万2千中)がイエスと答えています。イラク戦争や、大統領選挙を抑えて、この津波災害を、この2004年の最大のニュースとする感覚、ここへ来て10万人規模の惨事というインパクトが伝わっているようです。
たまたま訪れたコンピュータのアップル社のサイトでは、ホームページの全面が「津波被害救援キャンペーン」になっており、国際赤十字やユニセフへのリンクが直接張ってありました。地元のローカル新聞を見てみますと、実際に津波が起きた翌日の27日から「ニュージャージー中部赤十字」では募金活動を立ち上げているようですし、大晦日の時点では、「年越しの瞬間に犠牲者への黙祷をしよう」という運動がネット上で起こっていました。
アメリカ人はいったいどうしたのでしょう。テロへの恐怖や報復への衝動に流されていた過去から、急に目を覚まして南アジアの人々の心配を本気でし出したのでしょうか。アメリカに戻ったばかりの私には、まだ良く分かりません。ですが、昨晩のCNN「ラリー・キング・ライブ」という番組では、ホストのラリーの代役で司会をしていたナンシー・グレーブという女性キャスターは、10万人という犠牲者数を口にするたびに涙ぐんでいましたから、ある種「本気で」災害への思いを抱き始めているようなのです。
実際に、軍の派遣だけでなく、官民を挙げての援助はかなりのスピードで動き出している一方で、メディアの論調の中には救援活動が遅いと政府を激しく批判するようなコメントも出始めています。まだ分かりませんが、アメリカ人の深層の中に「911以降変わってしまった、自分たちの世界との関わり方」をこの津波災害を契機に「正常化したい」という気分が生まれているように感じます。自分たちが底抜けの理想主義を掲げていることに、自他ともにどこかで信じられる、そんな言動のパターンへと、この「津波への支援」を通じて戻れれば良いのだと。
少なくとも、各メディアは本気です。CNNなどは、医療問題の専門キャスターを含めた主役級のキャスターを続々現地に送り込んでいますし、右派のFOXニュースでさえ、ホームページでは「どうしたら寄付ができるか」のリンクを大きく張る一方で、国連のアナン事務総長の「救援を呼びかける演説」をストリーミング配信しています。イラク戦争の前後では、アナン氏のことを「裏切り者」とか「辞めろ」と罵っていたFOXがです。
そもそも、「津波」という概念はアメリカ人にはなじみが薄かったのです。日本語の「ツナミ」はそのまま「TSUNAMI」という英語になっていましたが、長い間、単なる「高波」ぐらいの意味で使われていたのです。例えば、今回の津波以前にこの「TSUNAMI」という言葉でアメリカ人の頭に浮かぶイメージは、葛飾北斎の「神奈川沖浪裏の図」だったのです。
それが、今回のニュースでは「TSUNAMI」イコール「地震の起こす恐ろしい高波」という正確な意味で使われるようになりました。もう面白おかしい意味で、この言葉が使われることはないでしょう。
アメリカが支援に熱心なのは、経済的な被害が少なかったということもあります。こうした大規模な自然災害が起きますと、損害保険業界あるいは再保険業界の負担が問題になるのですが、「USAトゥデー」の報道では、悲しいかな今回は被災地での損保加入が恐ろしいほど低率なのだといいます。保険金支払いという形で強制的に支援をする必要がないために、社会として任意の支援を行う余裕もあるし、その必要も深刻だというわけです。
ただ、津波支援に熱心な背景には政治的な思惑もあるのでしょう。ブッシュ大統領自身が「米日豪印」の4カ国の「支援コアリション」にこだわるのは、この地域がイスラム教国を含み、微妙な政治情勢が絡まるという問題が背景にあるように思います。
問題はマレーシアとインドネシアで、911以降のアメリカの対イスラム政策への冷ややかな視線を持っている地域です。その両国が被災したということで、それに対して「コアリション」への屈服を迫るものという側面、そしてアチェの問題を中心に、被災というダメージが政治的不安定になるようなら、豪州の不安感情などをバネに圧力をかけようという意図が見え隠れしています。
どうやら、日本は「中越地震で疲れた」とか「久しぶりに好況感のある正月に一息入れたい」などというのも、少し我慢して、フルスピードで、この「支援ラッシュ」に乗り遅れないようにしなくてはならないようです。
軍事が絡まない人道支援であるからこそ、その活動が新たな紛争や対立の人災につながっては大変です。「コアリション」などというのは、内向きな共和党政権がカネを出す口実のスキームだ、というぐらいに割り切って、日本は国連中心、そして被災国との二国間関係中心の支援を徹底的に行うべきだと思います。中国の支援、イスラム圏からの支援などとも歩調を合わせるべきでしょう。
素地はあります。既に現地入りしている緊急支援部隊の人々は、生存者の救出と、遺体の収容という困難な作業を黙々と進めておられると聞きました。その姿は、必ずや現地の人々の琴線に触れるはずです。
そういえば、東京でタクシーにお世話になりましたら、今では珍しくなくなった女性の運転手さんが「チリ津波」の体験談をして下さいました。石巻の出身という運転手さんは、子供の時に巨大津波の引いた浜辺の光景が瞼の裏に焼き付いて離れないと言うのです。
「私たちの村は浜でしたから、被害はそれほどありませんでした。でも、隣村の入り江では犠牲者も出たらしいのです。津波が引いた後で、海水が異常なぐらい引いて沢山の魚が打ち上げられていました。子供たちは喜んでその魚を拾っていたのですが、漁師だった父にそんなことはするなと叱られたのを覚えています。その日は、週末だったのですが、子供はみんな学校に集められて無事を確認し合ったのでした」
そこには大昔から海への畏敬とともに、津波の恐ろしさと戦ってきた人の知恵が感じられました。「そんな私には、警報が全くなかったというのは信じられません」そう運転手さんの言うのももっともです。
信じられないような大津波は、この2005年の正月に、否が応でも時代を先へと進めています。と同時に、過去のわだかまり、過去の愚かさも流してくれているようにも思うのです。
アメリカ人の素朴な善意があふれている、それは素晴らしいことです。ですが、ブッシュ政権としては、ハリケーンの際の危機管理を成功させたフロリダ州のジェブ・ブッシュ知事(大統領の弟)を支援活動の責任者として送り込むというのでは、2008年の大統領選への思惑が見え見えです。
「コアリション」などという詰まらないフレームは無視して、日本は支援の先頭を突っ走るべきです。北海道や三陸の海で、あるいは紀伊半島で、土佐の海で、長年にわたって津波と戦ってきた、そして地震災害についても痛みとともに知恵を蓄積してきた日本には、その責任があるのでしょう。打ち上げられた魚を喜んで拾うのではなく、むしろそれをたしなめる毅然さをもって、被災地の人心に慕われ頼られる、正に日本ならではの支援に期待したいと思います。
冷泉彰彦:作家(米国ニュージャージー州在住)

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