世代の谷間から from 911/USA

2004年11月13日発行
JMM [Japan Mail Media]
No.296 Saturday Edition
▼INDEX▼
■ 『from 911/USAレポート』 第172回
   「世代の谷間から」
 ■ 冷泉彰彦   :作家(米国ニュージャージー州在住)
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 ■ 『from 911/USAレポート』 第172回
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「世代の谷間から」
「ブルー・ステート」では、まだまだケリー敗戦のショックが続いていますが、時代は否応なしに先へ進み始めています。今週は、アッシュクロフト司法長官の辞任を受けて、ヒスパニック系として初の司法長官として、アルベルト・ゴンザレス氏がブッシュ大統領から指名されました。閣僚人事が動き出したのです。
そもそも、アメリカの司法長官というのは、日本の法務大臣とは位置づけが違います。行政を代表して、法的な問題に対処する、その全てにおいて強大な権限を持つのです。日本で言うと、法相と検事総長と内閣法制局の長官を兼務している、まあそんなところでしょう。
さて、このゴンザレス氏、マイノリティ出身だから穏健かというと、決してそうではありません。まず、ブッシュ大統領の法律顧問であり、そもそもがテキサスの「エネルギー産業サークル」専門の弁護士でした。テキサス州知事時代にブッシュ大統領に登用されて、知事の顧問やテキサス州の最高裁判事を務めたり、とにかくブッシュ人脈の中心的存在です。
エンロンとの深い関わりがあることは勿論、ブッシュ大統領の一期目に「ブッシュ、チェイニーのエネルギー政策が決定される過程の文書」について「一切公開を拒否」した際に、ホワイトハウスの権益を代表して、ありとあらゆる法的なテクニックを使って、議会民主党の追及をかわした功労者とも言われています。
またテキサス州知事の顧問時代には、死刑の執行を積極的に行ったことで知られています。知的障害のある死刑囚への執行をはじめ、ローマ法王から助命嘆願が出ても無視して執行するなど、強硬な死刑推進派としても知られています。
ゴンザレス氏の法的なセンスを如実に語るエピソードは、アフガン戦争の捕虜に対する処遇問題でしょう。捕虜について「戦争捕虜」であるとすると、拷問を加えて仲間の居場所を告白させるなどの暴力行為は一切できなくなるばかりか、丁重に身分を保護しなくてはならなくなります。
そこで、捕虜に関して「ジュネーブ条約の適用外」であることにすればそうした問題が回避できる、これがゴンザレス氏のアイディアでした。以降、アフガンやイラクでの「テロリスト捕虜」に対してこの見解が適用されて行っています。正規軍を投入して「殺人が免責される」戦闘行為を繰り返しながら、捕虜は戦争捕虜として扱わないという論法は、ゴンザレス氏がブッシュ大統領に進言した「メモ」が発端だと言います。
『ニューズウィーク』誌のハワード・ファインマン記者といえば、表面的なリベラルではなく、重心の低い現実主義者として、この「対立の季節」になりながら重みのあるコメントで有名です。そのファインマン記者も、この「ゴンザレス」という人選には頭を抱えていました。11日朝のCNN「アメリカン・モーニング」でこのゴンザレス指名の問題について「特に石油業界との癒着が心配です。それに捕虜の問題では、アブグレイブ刑務所での虐待を招いた張本人という声もあります」という言い方をしていました。
ですが、ファインマン記者によれば「議会での承認は意外とスムーズに行くようなんです。ゴンザレス氏は、同性愛や価値観問題では、意外と中道なんですよ。だから、議会民主党内では『いいじゃないか』という雰囲気なんです」というのです。「ゴンザレス氏は、連邦最高裁判事という声もあったんですが、むしろ軍事警察方面での強硬姿勢を保つ人材として、司法長官にする。そして連邦最高裁判事の方は、価値観の問題で宗教原理主義者の期待をかなえるような人物を、というストーリーのようです」という解説でした。
その議会の方ですが、NBCの政治記者で鋭い政界ウォッチングで知られるティム・ラサートは「下院民主党は少数とはいえ、まだまだ元気」だそうです。ですが、「現職はほぼ安泰だったし、激戦区でも互角に戦ったので意気が上がっている」という下院に比べると、上院の方は「ダシュル院内総務の落選」もあってお通夜状態が続いているというのですから、バランス感覚は当分戻りそうもありません。
そんな中、今週木曜日の11日は「退役軍人の日(ベテランズ・デー)」ということで、各地でパレードがあったり、コネチカット州では保守化の世相を反映して「州出身の退役軍人の殿堂」を作ろうという話が出たりしています。また、アリゾナ州立大出身のフットボール選手で、巨額のNFLからのオファーを蹴って従軍し、アフガンの戦闘で死亡したパット・ティルマン選手を、大学の名誉学士として顕彰し、背番号を永久欠番にする、そんなニュースが流れたりもしています。
その同じ時期に、正にイラクではファルージャ攻めが最終段階に入っているのですが、11日の朝、NBCのインタビューに答えていたマイヤース統合参謀本部議長は、「テロリストを一掃し、町を再建すればイラクの民主化が前進する」と強気な姿勢を崩していませんでした。そのファルージャ攻めに関しては、解像度の低いよく分からない映像が流れるばかりで、具体的な戦況は分かりません。
報道もどうしても表面的に流れがちです。少なくとも、1)バグダッド進軍の結果、敵の主力を取り逃がした反省は生かされているのか、2)そもそも30万人の人口がいたファルージャからの難民はどんな生活をしているのか、彼等の中にイラク現政権への信頼を確立する努力はされているのか、3)国外からのテロリスト勢力を取り逃がしているのではないのか、4)一般市民の犠牲は本当に回避できているのか、などの具体的な情報はありません。
とにかく、TVの論調は「大変な戦闘だから成功して欲しい」というトーンで終始しています。民主党側でも、例えばヒラリー・クリントン上院議員でさえ「今回のファルージャ作戦では、私の個人的に知っている兵士も前線に出ています。彼等の参加しているこの作戦が、一刻も早く成功裏に終わるよう支援したい」というようなコメントを出している、それが現状です。
ちなみに、ヒラリーが「個人的に知っている」というのは、昨年11月の感謝祭の際などに、アフガンとイラクに展開する米軍の前線兵士を視察して、大歓迎を受けているからです。いずれにしても、軍への民衆の支持があり、その支持を背景に、動き出した軍事行動を止めることはできない、そんな雰囲気が濃厚に漂っています。
アラファト死去のニュースは、勿論アメリカでも大きく取り上げられていますが、こちらも事実の報道に終始しており、今後の中東和平への展望は不透明です。12日の金曜日、アメリカ東北部の早朝には、アラファトの棺がラマラの埋葬場所に到着する場面の生中継が飛び込んできました。
大統領選などを見ていますと、単純にリベラルと保守に分かれているように見えるアメリカのメディアですが、こうした中東情勢になりますと、各局の性格が別の色合いで出てきます。例えば、アラファトの棺に殺到する群衆と、それを空へ向けた銃撃で抑えようとパレスチナ官憲の様子について、NBCでは「張りつめた恐ろしい光景」(『トゥディ』)と表現、更にCBSでは「この中に無数のテロリストがいる。第一アラファト自身がテロリストの親玉だった」(『アーリーショウ』)という形容でした。
CNNになりますと、中立に寄ってしかも重心の低い報道になっています。「混乱の中に秩序があり、暴力的な中に平和の希求がある、不思議な悲しみの表現」(『アメリカン・モーニング』のソリダート・オブライエン)というようなコメントをつけて、ぶっ通しの生中継をしていました。ですが、このCNNにしてもパレスチナ情勢の今後の見通しについては今週の時点では予想がつかないとして、簡単な後任人事の見込み報道に止まっていました。
ただ政局は微妙な影響を受けているのも、ある程度は事実のようです。例えば、「アラファトの死」を契機に、引退を表明していたパウエル国務長官が続投、少なくとも1月までは辞任しないだろう、という観測が流れています。
ただ、このあたりになりますと、ライス補佐官に「国務長官の後任を」と打診したところ「国務はやりたくない、むしろ国防長官をやりたい」と言ったとか言わないという説があり、場合によっては「パウエル国務長官(留任)、ライス国防長官」という布陣になる可能性も取り沙汰されています。更に勝手な想像をすれば、中東は強硬路線、アジアは対話路線が続くということになるのかもしれません。
とにかく、これが大統領選から10日が経過した、今のアメリカです。選挙結果の影は色濃く、時代の風は完全に逆戻りしてしまったかのようです。マイケル・ムーアが数年がかりで『華氏・・・』の続編を制作すると発表したというニュースなども、この時代の風の中では見向きもされません。
そうした中で、今週はトム・ハンクスが製作と主役(1人5役だそうです)を務めたCG童話大作映画『ポーラー・エキスプレス(ロバート・ゼメキス監督)』が公開されました。昨年末から、何本も予告編が作られ、ネットをはじめ大変な宣伝を繰り広げた作品、何よりも人気絵本の映画化であり、165ミリオンの巨費(約176億円)を投じてCGのハイテクを駆使した作品、ということで話題性は満点なのですが、盛り上がりは今ひとつという感じなのです。
実際に公開された10日の水曜日の初日売り上げは、2.5ミリオン(約2億千万円)と伸び悩み、しかも前週の公開されたアニメ映画『ザ・インクレディブルズ(邦題は『Mr.インクレディブル』)』が4.5ミリオンを売り上げると、封切り日なのにトップを取れないという状態です。
私は、この絵本は印象に残っているものですから、初日の晩に近くの劇場に行ってみたのですが、水曜日とあって午後8時の時間帯でも場内はガラガラでした。話題作の封切りというムードとはほど遠い雰囲気だったのです。
映画は、しかし見事でした。ですが、私は見ていて切なくなりました。ここまで自分をさらけ出したトム・ハンクスを見たのは初めてです。ハンクスの演技が優れているというのは、衆目の一致するところでしょう。ですが、その演技が余りに上手すぎて一種人工的な冷たさを感じることも多かったのです。『プライベート・ライアン』での望郷の念を語るモノローグ、『キャスト・アウェイ』での無人島での孤独感、『アポロ13』での抑えた勇気の表現、『フォレスト・ガンプ』の強烈なキャラクター造形、とどの演技も素晴らしいながら、どこか鼻につく印象も否定できませんでした。
ですが、この『ポーラー・エキスプレス』でのハンクスは違います。どこかなりふり構わないところがあるのです。特に、子供達を乗せた「エキスプレス」がある場所に至ったところで、一瞬感極まって泣くハンクスがあるのですが、私は本当に泣いているかと思ったほどにリアルな表現でした。画像は演技の実写を特殊なセンサーを使ってCG映像に転換したものなのですが、それでもリアルな「泣き」が伝わってきたのです。
ストーリーを紹介することは差し控えますが、原作の絵本(邦題は『急行「北極号」』原作はクリス・ヴァン・オールズバーグ)にあった「クリスマス・イブの幻想的な汽車旅行」という枠組みはそのままに、登場人物を拡張し、アクションを入れてスケールを広げています。そして、原作にはなかった「サンタクロースの実在を疑いはじめた少年のこころの軌跡」というテーマを中核に据えて、全編をその「サンタはいるのか?」という疑問と答えにあてているのです。
では、この映画、昨今流行の宗教回帰とか、保守化の文脈にピッタリ入ってくるのでしょうか。どうもそうでもないようなのです。まず、少年の「サンタはいるのか?」という疑念を、映画は忠実に追いかけていきます。最終的には、結論ははっきりしており、夢の大切さを訴えるところに揺らぎはないのですが、どこかメッセージは控えめで、哀感を帯びています。
原作の絵本もそうなのですが、町の風景、北国の自然、雪景色の印象、そしてベッドの横たわる少年の姿など、どの風景も淋しそうで人の気配が薄いのです。そこに、「サンタはいるのか?」という少年の迷いが乗っかり、その疑念に答えるように一種壮大な夢が用意されるのですが、どこにも圧倒的な説得力はありません。どうしようもなく、きれいなお話なのですが、子供達をねじ伏せるような、あるいは明るい世界へ引きずり込むようなパワーはないのです。
結果的に、いかにもキリスト教的なクリスマス童話でありながら、価値観の揺らぎや、子供の孤立感を描いてしまったことで、まるで日本アニメのような趣の作品になってしまいました。実際に、この作品は、宮崎駿氏の『千と千尋の神隠し』に相当な影響を受けているように感じられます。
まず、幻想の鉄道に乗って旅行する、そこで不思議な人物に会うという点です。幻想の鉄道ということでは、勿論、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』がオリジナルであって、宮崎作品も、オールズバーグの原作本も影響を受けていると思いますが、生と死の空間を描いた宮沢作品と比べると、「自分探し」がテーマの、この『ポーラー』はむし
ろ『千と千尋』との類似という感覚が強いのです。
親が信じられず、子供が自分で夢を追いながら成長しなくてはならない、という点も、全く同じです。醜く豚に変えられてしまった『千と千尋』の親ほどではありませんが、
この『ポーラー』においても、両親は「夢を失った存在」として実に突き放された描き方をされています。
そんなわけで、美しく繊細な映画ですが、力のある作品というのとは違います。私は、トム・ハンクスの「泣き」を見て、これは一種の私を含めた「ポスト団塊世代」の弱さなのではないか、と思ってしまいました。私たちポスト団塊の世代は、特にアメリカの場合は、「サンタがいる」という幻想を「引っ張る」という形で、親の庇護は受けてきた世代だと思います。そして自分も子供達には「サンタがいるんだよ」と言い続けて、やがて自分でその幻想から抜け出して事実に直面する年齢まで守ってやる、そのようにしたいと思ってきたのです。
ですが、現代は情報の洪水です。そんな自分たちの意図とは別に、子供の世代は否応なしに様々な情報に晒されて行きます。「サンタがいる」という幻想を「引っ張る」ことは難しい時代になりました。つまり、成長を待つ間、子供を守りきることも難しい時代なのです。
トム・ハンクスの「泣き」は、そうしたポスト団塊世代の陥った場所を示しているように思えました。「サンタ幻想」を「戦後民主主義」と置き換えても良いのかも知れません。第二次大戦の勝敗や、リベラル・デモクラシーの程度を基準に善悪を整理すれば、平和が維持できると信じられた時代、ポスト団塊世代はまだその幻想を引きずっています。どこかでそんな単純化ができれば良いと思っているところがあります。
ですが、下の世代が突きつけてくる世界観と、複雑化する現実は、もうそんな単純化を許してはくれません。ある意味で「夢」を信じたい部分と、現実に突き上げられてくる部分の谷間にあって、立ち往生している、そんな世代なのではないでしょうか。
この映画の原作本を日本語に翻訳したのは村上春樹氏ですが、そのことも含めて、この映画にある種の世代の問題を感じざるを得ないのです。
トム・ハンクスと言えば、この「退役軍人の日」に全国のABC系列で『プライベート・ライアン』を放映しようとしたところ、特に中西部を中心とした系列局(大統領選の帰趨を決めたオハイオの2局を含む)から「F言葉と流血シーンが入っているので、連邦の倫理委員会の懲罰対象になっては困る」として中継を拒否されるという騒動がありました。
「保守化」した地域が「放送の品位」に過敏になっているという事情、スピルバーグ監督やハンクスのような人たちでも民主党寄りとみなされる世相などもあるのでしょう。ですが、第二次大戦の戦勝伝説をいくら持ち出しても、今のアメリカの「軍国主義」からは歓迎されないというムードが根底にあるように思います。
クリスマスのお子様映画の話にしては大げさな話と思われるかもしれません。ですが、今回のケリー敗北、いわゆる保守化のショックというのは、ポスト団塊の世代の問題として捉えなくてはならないように思うのです。この『ポーラー・エキスプレス』の持つ、どうしようもない弱さというものは、他でもない世代としての弱さのように思うからです。

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