[JMM296F]「暗殺の森」オランダ・ハーグより

■ 『オランダ・ハーグより』 春 具 第102回
  「暗殺の森」
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■ 『オランダ・ハーグより』 春 具               第102回
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「暗殺の森」
 アメリカが、というよりも世界中が、かの国の大統領選挙に手に汗を握っていた先
週の火曜日(11月2日)のことです。オランダではアムステルダムで衝撃的な暗殺
事件があった。
 暗殺というか単なる殺人事件と呼ぶかは定義の問題であろうが、その後の事件の推移をみると、そのインパクトからしてこの事件は暗殺と呼ぶのがふさわしい。事件は以下のように起こりました。
 被害者はテオ・ヴァンゴッホという映画監督で、ヴァンゴッホという名のごとく、画家ヴィンセントの家系の出である。わたくしはほとんど知らなかったのですが、映画作家としてはメッセージ性の高い、というかセンセーショナルな作品を作ってきているそうで、テレビでコメントもし、本も書き、政治色の強い発言をあちこちでしてきている人物であった。
 思想的にはたいへんに過激な右寄りで、2年前ほど前に暗殺された右翼政治家ピム・フォルタイン氏を尊敬しているというからおおよその見当がつこうが、宗教面でもキリスト教、モスリム、ユダヤ人それぞれを愚弄、侮辱する発言を繰り返し、そのことでファンがついたりもして有名になっていた。
 事件の朝は、9時ごろ、テオ監督は自転車でアムステルダムの仕事場に向かうところだったが、そこへ同じく自転車に乗った男が追いついてきて二、三、話しかけたという。なにを話しかけられたのかわからないがテオ監督は急にスピードをあげて逃げる格好になった。男はそこでピストルを取り出し、監督に向けて数発撃つ。
 テオ監督は一度は倒れたものの、起き上がって歩き出し、道を横切って道路の向こう側までたどり着いたところ、男は追いついてきてナイフを出し、テオ監督を滅多刺しにした。そのあと、ピストルに弾を込めなおし、すでに死亡している(らしき)監督に向けてさらに数発撃ちこんだのだという。
 そして、立ち去る前、男は新しいナイフをとりだし、監督の胸に手紙をナイフでつき刺し、メッセージを残して去った。
 オランダの新聞はこういう報道には明快であります。翌日の新聞にはテオ・ヴァンゴッホ氏が路上にあおむけに横たわり、その胸には刺されたナイフにとめられた手紙がはっきりと写っている写真がカラーで一面に出ていた。
 犯人として即座に逮捕されたのはモロッコ系のオランダ人で、イスラムの原理主義を信奉しているのだという。
 直接の原因としていろいろ取りざたされているが、テオ・ヴァンゴッホ監督が最近作った『Submission 従順』という上映時間10分ほどの短編があり、これが直接の動機であるらしい。この映画はこの夏にオランダのテレビで放送され、放送後、大きな問題となった作品である。
 映画はモスリムの女性の悲哀を描いたもので、家庭では夫に暴力をふるわれ、親戚にはレイプされ、人格もへったくれもないままボロ雑巾のように扱われるモスリムの女性を描いた短編である。
 なかでも一番衝撃的で問題になったのは、主人公の女性の花嫁衣裳の背中が引き裂かれ、そこにコーランが書かれているシーンである。モスリムの女性が素肌を見せているだけでなく、そこにコーランが書かれているのである。このことだけでもイスラム教徒たちは二重に侮辱された気になりますね。彼らの反発と怒りは想像して余りあるが、これがヴァンゴッホ監督の意図した効果であったわけで、新聞に載ったその場面の写真だけをみても、なんともおどろおどろしい。
 放映直後からテオ・ヴァンゴッホ監督とスクリプトを書いた女性(元難民でいまは帰化して国会議員にもなっている)のもとに脅迫状や脅迫電話やメールが次々と送られ、この女性議員にはボディガードがついて、いまは某所に匿われているほどの警戒となった。
 そこへきてこの白昼の暗殺である。
 事件後、バルケネンデ首相は国民に落ち着くようにと自粛を呼びかけたが、オランダ国民の反応は困惑と怒りとやるせなさである。ヴァンゴッホ監督の葬儀には、普段なら彼の発言に反対するような一般市民までが多く参列しておりました。
 オランダでこのような政治色の強い殺人事件が起こったのは一昨年の右翼政治家ピム・フォルタイン氏の暗殺以来である。フォルタイン氏の殺害についてはわたくしはJMMのコラムで書いたことがありましたが、あのとき論じられたことのひとつに、平和なオランダで150年ぶりに政治的暗殺事件が起こったという驚愕があった。ほかの欧州諸国と違って、オランダでは政治がらみの殺人ということは絶えてなかったことなのである。それが、2年も経たずしてまたもや、というわけである。
 事件は、いくつかの異なった視点から論じられてきております。
 まず、オランダではこの国のモットーともいうべき「言論の自由」「寛容の精神」がもはや機能しなくなってしまったのではないかという危惧である。
「オランダ:なんでもありの王国へようこそ」というオランダ暮らしのガイドブックがあります(トラベルジャーナル発行)。たいへんにおもしろく役に立つオランダ紹介であるが、「なんでもあり」といわれるほどに、ドラッグはいいわ、ゲイの結婚もOK、安楽死も認められ、欧州社会でこれまでタブーとされてきたことを次々に制度化していった社会というのは、やはりそれぞれにどんな問題もおおっぴらに発言できる、そしてどんなに反対でも相手の意見に耳を貸す、そういう寛容さがなければ成り立たないのであり、オランダはそういうことができる国を自ら任じ、自慢してきたのでもありました。
 そのオランダのレゾン・デートル、すなわち国としての存在理由がここにきて破壊されたというわけである。『従順』はもともと問題性の高い作品であったが、それでもその作家の問題意識を「意見」として受け入れてきた社会において、ひとびとが自由にモノを言うことができなくなった、なにかを言う時には殺されるかもしれないというくらいの覚悟が必要になった、という危惧である。
 寛容がトレードマークだった国がその寛容さのゆえに受け入れた外国人(こちこちの原理主義者だったりする、それでも受け入れた外国人)に本来の秩序を乱される、それは飼い犬に噛まれたような思いかもしれない。
 次に、「ジハード」がオランダにとうとうやってきたという見解があった。
 この暗殺の数日後に、おそらく右寄りからの復讐という意味合いが込められているのだろうが、イスラム系学校やモスクが爆破、破壊されるという事件が数件起こりました。そこで明らかになったのは、911の首謀者とみなされているモハメッド・アタ容疑者がオランダにいたことがあって、彼はこれらのモスクに出入りしていたということだった。
 また今週には、警察が家宅捜査をした建物に爆薬が仕掛けられ、入ろうとした警察官が負傷する事件もあった。この原稿を書いている今(水曜日)、内部にいる居住者と警察のにらみ合いが続いておりますが、彼らは銃や手榴弾や爆薬などの武器をもち、ここはどうやら本当にテロリスト(とおぼしきグループ)の根城であったらしい(ただし、この建物の居住者とヴァンゴッホ暗殺者との間につながりがあるのかどうかについてはまだわかっていないようであります)。
 ということで、ジハードがオランダに上陸したと言う説明はなかなか説得力があるのですが、しかしながら、欧州の警察・諜報機関・ユーロポールのような機関にも過激派イスラム原理主義者たちがどの国にどれくらいいるのか、正確にはわかっていないらしい。
 わからないまま、つまり姿の見えないままあちこちで事件が起こるとなると、それがテロというものなんだろうが、いやな気分であります。幣機関でもアラートレベルは緑から黄色となった(これによって外部からの訪問者は禁じられる。これが赤になったらわたくしどもも退避することになる)。そのように事態は不穏にエスカレートしてきております。
 そのようななかでちょっと驚くのは、この件に関してEUがひとこともコメントしないことである。EUはEUとしてテロリズム撲滅を唱えているのに、そしてオランダが現在EUの持ち回り議長国であるのに、ブラッセルからはなんの沙汰もない。なんなんでしょうね、これは。議長国なんだからその特権でなんらかの声明を出したっていいのではないか。そう思ってしまうのですが、EUが沈黙していることについて、いくつかの理由が考えられましょう。
1)まず、トルコのEU加盟問題がありましょう。かの国のEU加盟投票を前にして、欧州全体によけいな刺激をしたくないという配慮が、まずあるのでしょう。
2)次に、欧州において、イスラムへの対応(すなわち対移民・難民対応である)は各国の足並みが揃っているわけではありません。ドイツのように、中東・中近東、トルコからの入国者は移民とは呼ばず「短期滞在労働者」と呼んだりする国があるかと思えば、国民の1割はモスリムだというフランスみたいな国もある。それぞれに条件が違って共通項と呼べるものがないのであります。したがって、欧州ではイスラムは国内問題であるということにならざるをえない。
3)同様の文脈であるが、今回の事件を純粋にオランダの国内問題として囲い込んでおくという他国の思惑がありましょう。国内問題はよそさまの家庭の問題みたいなもので、「隣人の父を疑う」という漢語がありますが、よその国の内政をおせっかいに論じると、火の粉がこっちへとんでくるかもしれないということでありましょう。
 総じてイスラム問題は、欧州諸国にとって、移民政策と絡んで触ると爆発する地雷みたいな問題であります。
 オランダにはこれまで外国からの移住者に寛大で、多くの難民・移民を受け入れてきた「伝統」がありました。
 ところが、この外国人たちにかかるコストが大きなものとなり、福祉や健康保険制度はパンク寸前となった。オランダ政府は近年とうとうこの難民・移民政策を放棄し、新たにふたつの改革を実施するようになった。ひとつは難民の制限である。これまでオランダには毎年多いときで4万人ほどの難民認定の届けがあったそうだが(全員が認定されるわけではもちろんない。届けも最近はずっと減っている)その認定を制限するとともに、すでにオランダに住みついている難民(多くは旧ユーゴ、イラク、アフガニスタンなどという)2万6千人ほどを強制国外退去させるというもので、非難を浴びつつも政府と議会は実施に踏み切っている。
 もうひとつは、「Inburgering 社会融合プログラム」というオランダ化プログラムであります。オランダに住む外国人はオランダ語のコースをとり、試験を受ける(滞在期間が限られている駐在員とかはこの限りではありません)。試験に受からなかったら即国外追放になるのかというと、そういうことではまだなさそうで、ではなにが本当の目的なのかと言うと、誰にもよくわからないらしいのですが、わたくしが嫌味に想像するには、試験をするぞと脅して移民志願者の出鼻をくじこうというのではありますまいか。
 いうまでもなく、とお断りしておきますが、わたくしはオランダに住んでおりながらこの国の社会政策、移民政策に影響を受けるものではない。わたくしがオランダに住んでいるのは勤務先の国際機関がたまたまここにあるというだけの偶然の産物なのでありまして、わたくしはこの国とビジネスをしているわけでもなく、オランダ人と結婚しているわけでもなく、学究として蘭学に励んでいるわけでもない。OPCWがパリにあればわたくしはパリに住んでいただろうし、ロンドンにあればウィンブルドンあたりから通っているかも知れません。OPCWがお台場にあれば、墨田川沿いに住んで水上バスなんぞで通勤しているはずである。そういうおかげでオランダ語の試験を受けなくて済んでおります(我が家では、テニストーナメント荒らしをしている娘だけがまともにオランダ語ができる。ゲームの最中、オランダのジュニアどもはきわどいボールをアウトコールしてシカとすることがあるので、その理不尽と対決するには言葉ができなくては始まらない。残る女房もわたくしもオランダ語はからきしダメであります)。
 そのように、「社会融合プログラム」の影響をまるで受けることのないわたくしがここでオランダの社会政策を声高に論じるのは無責任な評論家のそしりを免れないが、それでも移民してきた外国人、とくにイスラム系が不穏分子になる、そのことが問題なのだとするならば、その問題の根元には、オランダだけでなくいまの世界の問題として、「経済格差」があるということが見落とされているのではないかと思うのであります。
 彼ら移住者たちはいずれも経済学にいう「よき生活」を求めて移動してきたのであり、もともと問題を起こしに来たのだとは考えにくい(いまとなってはそういう分子もいるだろうが)。ところが彼らが期待してやってきた「約束の地」には差別があり、社会の隅に追いやられてしまう。二代目三代目になってもそこから這い出せるメカニズムがなければテロにでも走るしかない、とは言わないまでも彼らの不満は募るばかりでありましょう。
 フランスにニコラ・サルコジという元気のいい政治家がおりますね。シラク大統領の後釜を狙っている野心的な政治家でありますが、自身もハンガリー移民の息子というサルコジ氏は「いまのフランスは共和国建国のモットーだった自由・平等・博愛の精神が歪んでいる」と言っているといいます。フランス革命の精神はどこへいったのだと言うわけであります。
 格差の現状は移民たち(イスラムだけではもちろんない)に明らかに不利である。それが昨今の不穏な問題の根源にあるのだとサルコジ氏は見抜いているのであります。そして、サルコジ氏は、その是正のためにアメリカでいわれるような affirmative action みたいな積極的介入策をとってはどうかと提案する。Affirmative action というのは黒人やヒスパニックなどの社会の底辺にいるマイノリティを対象に特別枠を組み、大学に入学させるとか官公庁への就職枠を確保するとかして、人工的に機会を与えるというものであります。まあ、試験の時に履かせてもらうゲタ、あるいはゴルフのハンディキャップだと思っていいでしょう。
 あわてて付け加えるならば、わたくしは格差そのものが諸悪の根源だとは考えておりません。どんな社会でも競争があれば格差は生まれる。そしてそのまま競争が制度として続くならば、格差はさらなる発展の刺激ともなると思っております。反対に、ネガティブに格差が押さえつけられる、いうなれば上昇志向の実力・才能に機会を与えないで押さえつけたままの制度は、将来に爆発の可能性を含む危険な制度であろうと言いたいのであります。やかんが吹いているのにふたを抑えたままにしておくようなもので、フランス革命も共産革命もボストンティーパーティもそのようにして起こったじゃないですか。
 これまでの欧州諸国は、途上国からの難民・移民を受け入れることで、道徳的・倫理的・人道的な満足感に浸ってこられた。「今年は難民・移民をどれだけ受け入れた」という数字が、人道的な国として世界に自慢できる指標であった。それがつまずくにおよび、今度は、移民を制限するか追放するか、はたまた強制的に同化させようとするかのいずれかの施策をとの選択である。
 まあ、オランダの新政策は追い詰められた挙句の場当たりな(つまり抜本的な解決策にはみえない)政策という感がしないでもないが、モスリムたちのオランダ化をいかに図ろうと、文化としてのイスラム、宗教としてのイスラムがオランダから消えてしまうことは、いまの時代にはもはやありえなく、オランダ語の全然できない移民がオランダからいなくなることもありえないでしょう。皮肉を言えば、このような混在はグローバリゼーションのひとつの有り様なのであって、それならば混在をふまえた第三の道として、サルコジ型の、イスラムであろうが東欧移民であろうがアジア系であろうがフランス人であることを共通分母としてそのままに受け入れ、そのうえで積極的に機会を与えるという政策は、ヨーロッパではまだ聞いたことがない、実験してみる価値がある政策なのではありますまいか。
 昨今はオランダでもゴルフはブームっぽくなり、国民の多くがゴルフをやるようになってきたから、ハンディキャップの効用といえば affirmative action も国民の理解も得られようというもんだ。
 まあ、制度に関係ないわたくしがこんなことを述べるのもなんですが …
 ヴァンゴッホ氏があの朝、急いでいった仕事場でするはずだったのは、ちょうど撮り終わったフィルムの監修をする仕事だったのだという。そのフィルムは2年前に凶弾に倒れたピム・フォルタイン氏へのオマージュの映画だったのだということであります。
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春(はる) 具(えれ)
1948年東京生まれ。国際基督教大学院、ニューヨーク大学ロースクール出身。行政学修士、法学修士。1978年より国際連合事務局(ニューヨーク、ジュネーブ)勤務。2000年1月より化学兵器禁止機関(OPCW)にて訓練人材開発部長。現在オランダのハーグに在住。訳書に『大統領のゴルフ』

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